コンサルタント手記転職とは、人生を選び取るということ。
これは、医師の転職を導いたコンサルタントが経験した、
本当にあった物語。
Episode 25昭和40年生まれドクター事情2004年07月01日 コンサルタントO
最近、仕事でお会いする先生の生まれが、昭和40年頃に集中している事に気付いた。昭和40年生まれといえば、ちょうど40歳に手が届く頃。大学・派遣先病院でのポストや収入、あるいは家族環境―両親の老いや、子どもの進学など―の変化が、最も顕著になる頃だ。それに伴って自身も変わらざるを得ないということなのだろうか…。
A先生はその40年生まれの38歳。地元の大学を卒業後、大学病院を中心に複数の急性期病院で勤務していた。収入はアルバイト代込みで1200万円。しかし派遣先から大学に戻ると、それは1000万円になってしまった。先生の「ストレスは増えたが、収入は減った」という自虐的なジョークに、私はただ失笑するしかなかった。そのようなわけで、忙しさに見合った報酬を得られ、腰を据えて仕事に取り組める環境で勤務したいと思ったようだ。
しかし、ここで「昭和40年生まれ事情」が登場する。つまり、お子様の教育、である。先生の持論は「子どもは自然と共にあるべき」で、現在お住まいの地方中核都市は、先生曰く「子どもが健全に育つ環境ではない」とのこと。満足できる職場環境も欲しいが、「お子様が伸び伸びと生活できる環境」も必要というわけだ。
極端な話、どこにでも病院はある。また、最先端の医療を求めず、医師不足の環境を覚悟できれば、田舎に行くほど良い待遇で迎えられる。結局、初めての面談から2ヶ月という短期間で、焼き物で知られる地方都市の中核病院へ比較的簡単に決まった。人口約5万人程度の町で、海に山に川と、すばらしい自然に恵まれている。先生は1700万円(当直料除く)の収入と家族の笑顔を得て、非常に満足されたようだ。
後日、先生からお子様たちが田舎暮らしを楽しんでいるという話を伺った。周囲の変化に揉まれながらも、がんばっている「昭和40年生まれ」のドクター達。その彼らに、同じぐらいの年齢の者としてエールを贈りたいと思うような仕事だった。